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2016年8月 9日 (火)

フェアな引用をお願いします 植木哲也(寄稿)

 先日(2016年8月6日)、北海道アイヌ協会主催、日本人類学会と日本考古学協会の共催で行われたシンポジウム「考古学・人類学とアイヌ民族―最新の研究成果と今後の研究のあり方―」内の報告で、わたしの『学問の暴力』(春風社、2008年)の一部が資料として用いられました。これはある意味うれしいことですが、その用い方は大きな誤解を生む怖れのあるものでした。

Ueki02  東京大学の近藤修氏は、「形態人類学が明らかにするアイヌ民族と日本列島の人類史」という報告を行い、人骨研究にもとづく「日本列島人の人類史」について説明されました。その際「小金井コレクション」と「児玉コレクション」というふたつの「アイヌ人骨コレクション」の「貢献」に触れ、とくに後者の説明の中で『学問の暴力』100-101頁からと思われる文書を引いて、児玉作左衛門の遺骨収集が適切だった旨の説明をされました(当日の配布資料4頁)。

 『学問の暴力』の該当箇所は、八雲アイヌ墓地での発掘の様子を記述した部分です。わたしは、記述に偏りのないよう配慮し、児玉作左衛門の論文中の説明がそのまま事実と受け取られないよう、表現に注意しました。またアイヌ民族側からの児玉への批判的指摘も併記しました。

 しかし、近藤氏の引用ではこの点がすっぽりと抜け落ちていたのです。

 どういうことか説明しましょう。

 近藤氏は『学問の暴力』の原文を無断で大幅に省略しました。省略そのものは、原文の主旨を損なわない限り、問題といえないでしょう。見過ごせないのは、原意を歪めてしまう省略です。具体的にいえば、原文に挿入されている、「と児玉は述べている」、「と児玉は記している」、「(〜だった)という」、などの表現がすべて省かれていることです。

 原文と照合いただけば明白と思いますが、ここで簡略に説明します。つまり、

 児玉はアイヌの理解と協力のうえで発掘を行なったと述べている。

 という主旨の原文が、引用では、

 児玉はアイヌの理解と協力のうえで発掘を行なった。

 という形に縮められているのです。

 この省略は二つの点で、原文の内容を変質させています。ひとつは、児玉の説明をまるごと客観的事実のように見せている点です。もうひとつは、その「事実」を述べているのが児玉作左衛門でなく、資料(『学問の暴力』)の書き手になるという点です。その結果、

 児玉はアイヌの理解と協力のうえで発掘を行なった、と資料に書かれている。

 という話が組み立てられています。

 『学問の暴力』にそのようなことは書かれていません。むしろ、書かれているのは、「児玉はそのように語っているが、疑問が残る」ということです。近藤氏が用いている文章は、説明の都合に合わせて編集されているのです。

 さらに近藤氏は戦後の墓地発掘についても、やはり『学問の暴力』からの引用として、児玉の「社会的評価は変らなかった」と述べました。

 なるほど、当時の社会が児玉らの研究に対して批判的な視点を欠いていたことは、その通りです。しかし、だからといって、児玉の研究に問題がないと、わたしは書いていません。むしろ、社会を含めて墓地発掘に対する姿勢が問われるべきことを指摘したのです。

 こうした文脈を無視して、一部だけを抜き出すのは、学術的な引用としてフェアでないように思われます。同じことは、東村岳史氏の論文の引用にも言えます。東村氏は「学問のあり方を容認してきた社会」について検討しているのであって、氏自身が「学問のあり方を容認している」わけではないと思われます。

 付記:近藤氏は典拠について「植木、2006」と記すだけで、書名や論文名を配布資料に記載していません。2006年の文章のいずれにも該当する部分はありませんので、刊行年は異なりますが『学問の暴力』からと判断しました。

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