« 北海道大学への要請文 | トップページ | シンポジウム開催までの経緯 清水裕二・北大開示文書研究会共同代表 »

2011年6月11日 (土)

「私が北大に文書開示請求した理由」小川隆吉(アイヌ長老会議)

Img_0029
 今から36年前、一人のアイヌ、故・海馬沢博氏が、北海道大学の学長に対して抗議文を送りました。かつて北海道大学医学部教授が「勝手にアイヌ民族の墓を掘り起こし、人骨(1500体)を持ち去った事実は許されぬ」との指摘でした。私たちウタリもこの事実に驚き、当時の北海道ウタリ協会の指導者だった貝沢正さん、野村義一さん、杉村京子さん、佐藤幸雄さん、私といった面々が、医学部を訪ねて実態を視察することになりました。案内されたのは建物3階の「動物実験室」という部屋です。窓にはすべてカーテンがかけられ、入り口の右手に棚がありました。棚にはエゾオオカミの頭骨が6個、エゾシマフクロウの頭骨が6個。その隣に、動物たちの標本とまるで同じように、人間の頭骨が壁一面に並んでいたのです。

 頭骨にはひとつずつナンバーが振られ、「AINU」とローマ字で説明がついていました。この光景を目にした途端、杉村京子フチは思わずその場にひざまずいて、「許してください、許してください、許してください」と3度声に出しました。3度目は泣き声になって、そのまま床に顔を伏してしまいました。顔を上げたフチの眼からは、大粒の涙があふれていました。フチは、そばにいた佐藤幸雄さんを振り返り「急いでロウソクとお線香とたばこを買ってきて」と頼みました。そして遺骨に向かって、手ぶらでこの場にきてしまったことを詫びました。

 このお骨が地上に降ろされるまでに、さらに3年の月日がかかりました。北大医学部がようやく納骨堂を建てることになったのです。ところがその場所というのが、医学部の駐車場の片隅でした。おまけに、工事現場を視察した私は再び大きなショックを受けました。建設業者が組んだ足場に、横長の看板が取り付けられていたのですが、そこには「医学部標本保存庫新営工事」と記されていたのです。

 アイヌの遺骨がなぜ「標本」なのか、なぜ「アイヌ民族納骨堂」と書かないのか。大学に説明を求めると、こんな答えが返ってきました̶̶「国立大学には政教分離が求められる。納骨堂建設という工事名では予算がつかないので、会計監査が終了するまで待って欲しい」と。なんと杓子定規な対応でしょう。規定をクリアするために、アイヌの人権は二の次でよい、そう言っているのと同じです。

 こうして遺骨は、実験室から納骨堂に移されたわけですが、そもそもどのように北大医学部に収集されたのか、経緯や責任の所在はその後も明らかにされないままでした。でも、それは許されないと私は思うのです。

 大学が自ら実態を解明しないつもりなら、こちらがやるしかありません。2008年、私が情報公開法を利用して大学に関連文書の全面開示を求めたのは、そんな理由からなのです。

(2011年6月10日、シンポジウム「さまよえる遺骨たち」資料集から)

写真撮影 平田剛士 2011年6月10日、札幌エルプラザで。

« 北海道大学への要請文 | トップページ | シンポジウム開催までの経緯 清水裕二・北大開示文書研究会共同代表 »

アイヌ・先住民族・遺骨返還」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/574743/51911807

この記事へのトラックバック一覧です: 「私が北大に文書開示請求した理由」小川隆吉(アイヌ長老会議):

» 2つの感想 [Against the Wind: Indigenous Issues Untold or Underreported in Japan]
 ここにはあまり個人的なことは書きたくはないのだが、「舌の根も乾かないうちに」と思われるかもしれないので、心苦しい言い訳を。わが輩の個人的な状況が改善したわけではないのだが、当面、最悪の事態には至らずに済みそうなので、少しばかりこちらにエネルギーを向けて... [続きを読む]

« 北海道大学への要請文 | トップページ | シンポジウム開催までの経緯 清水裕二・北大開示文書研究会共同代表 »