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2011年5月 2日 (月)

なぜ大学の実験室に、こんなにも大勢の先住民族の遺骨が集められていたのでしょう?

 でも、そもそもなぜ大学の実験室に、こんなにも大勢の先住民族の遺骨が集められていたのでしょう? だれがいつ、どんなふうにして集めたのでしょう?

 一冊の本をひもといてみましょう。

 植木哲也著『学問の暴力 アイヌ墓地はなぜあばかれたか』(春秋社、2008年刊)という本です。

Gakumon

 この本が描いているのは、19世紀後半から20世紀前半にかけて「活躍」した、高名な人類学者たちのふるまいについてです。

 東京帝国大学の小金井良精(こがねい・よしきよ)という教授は、「帝国大学の命により人類学研究のため」北海道を旅行して回り、「各地で精力的にアイヌの人骨、特に頭骨を集め」ました。墓地の「発掘」にも手を染めています。

 京都帝国大学の清野謙次(きよの・けんじ)という教授は、当時日本領だった樺太(現在のロシア・サハリン)に渡り、やはりアイヌ墓地を「発掘」して頭骨を集めました。

 北海道帝国大学の児玉作左衛門(こだま・さくざえもん)という教授は、北海道の各地で、さらに大がかりに墓地を「発掘」し、アイヌ民族の骨と、お墓に納められていた副葬品(宝物)を集めました。

 まるで墓荒らしです。でも、これらはすべて、学問研究のため、というお題目で正当化されました。

 明治時代から昭和時代初期にかけて、こんなふうに集められたたくさんの先住民族のお骨が、遺族に返されることなく、ずっと大学に放置されてきたのです。

 1984年、北海道大学には「アイヌ納骨堂」が建ち、お骨が移されました。でも、先住民族に対するこれほどの仕打ちについて、「収集」当時のいきさつを詳しく検証したり、責任の所在を明らかにしたり、といったことは、なされていません。

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